木更津厳心館ホームページ


1.無雙直傳英信流居合道由来概要
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始祖 林崎甚助源重信公 | |
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もともと居合術は、古来の剣豪が苦心研鑽の結果創案された日本刀、即ち真剣を以って行う処の心身の修養錬磨の道であって、急変に処して直ちに之に応じ、自己の身を守る刀法であります。従って、日常その坐居進退によって強靱な心身を錬成することは勿論、敵前(仮想の)に於て自己を究明する無双の道であり、恰も、仏家の坐禅に匹敵し、日本武道の根元であり、処世の大道であるといわれております。
この居合術の始祖は、永禄年間(約450余年前)の武士で、奥州最上家(現在の山形県)の臣、林崎甚助源重信公といい、其の流名を林崎夢想流、又の名を重信流と唱えました。下って享保の頃(約270年前)当時空前の名手として高名であった正統第七代長谷川主税助英信公が古来の技に独創の技を加え、流名をここに無雙直傳英信流と改め、土佐の国(現在の高知県)に之が伝承されました。爾来、正統第十九代宗家に至るまで土佐の国の不出の御流儀として伝承されてきましたが、正統第十九代宗家福井春政先生は、深い御思慮と御意志に基づき、正統第二十代宗家を大阪の地に移す事を決意され、昭和25年4月、大阪市住吉神社に於て河野百練範士に之を伝承されました。
更に、正統第二十一代宗家・福井虎雄先生、正統第二十二代宗家・池田聖昂先生へと継承され、現在に至っております。当流が居合道の根本流儀といわれる所以は、以上の如く始祖以来連綿として絶えることなく代を重ねて伝承されてきて居るからに他なりません。当流の修行を志す者は全国各地に及び、その数は他に比肩なしという現況もこの歴史的事実に基づくものであります。
2.当道場の概要
修練の趣旨
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厳心館顧問 範士江坂静厳先生と 小原館長 |
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居合道は前述のとおり我が国独特の刀法であり、古人が死生の間に於て体得し創案された自己防衛の術、自己究明の道であります。爾来、時代の変遷と共に武道として先人の努力、研究により伝承され今日に至って居るものであり、技の末を追わずその根元を訊し、技により己の心を治める道とされております。この古武道こそ日本人の歴史的遺産の一つであり、日本人の心でありますが、この修行を通じ心身の鍛練を期すること勿論であります。
幸いにも、今般、館長の居合道の師であります、無雙直傳英信流 正統第二十代宗家・河野百練先生一門の高弟であり、正統正流無双直伝英信流 国際居合道連盟・範士江坂静厳先生の御指導を仰ぎ厳心館道場開設の運びとなった次第であります。
【厳心館道場開き 平成18年9月3日】

居合道(いあいどう)とは、武術である抜刀術・居合を武道としたものである。
居合道とは、日本刀を用い、抜刀から納刀、および諸作法を通し技能の修練のみならず、人格の涵養なども含めた各自による自己修練のこと。現在、座った状態で、鞘から刀剣を抜き放ち、さらに納刀に至るまでをも含めた武術を、一つの独立した武道として成している国は、全世界でも日本のみで、実は非常に稀有なものである。
それぞれの団体において段級位制があり精進を重ね、形を演武し所定の審査と試験(筆記、口頭かは各団体により異なる)を経て段位及び範士、教士、錬士という称号を授かる。十段範士が最終段階であり、最終目的である。(団体により目的が異なる)
ウィキペディアより

